地形や景観から見る天橋立

講師:宮津市教育委員会 河森 一浩 氏
日時:2021年10月19日 14:00~15:30
会場:生涯学習センター知遊館

ブラタモリの様子から文化的景観について

2021年1月9日にNHKで放映された「天橋立〜なぜ人々は天橋立を目指す?〜」に案内人として出演した際のエピソードや、天橋立文化的景観調査を使用した話、自然、文化、産業で地域を総合的に捉える必要性があること等を説明されました。

日本の文化財では一番新しいとされる「文化景観」のカテゴリーは景観保全を目的としています。文化景観に認定されるには、流通往来の歴史がポイントとされており、阿蘇海の溝尻の舟屋もその点が注視され認定されたそうです。

<天橋立についての話>

天橋立は、砂が北から南にむけて大きさが変わっているので伸びていった様子がわかります。奈良時代の丹後の国風土記では、イザナギのみことが天と行き来するために作った梯子と記載されているそうです。その当時は、神秘的な神の仕業とされていました。

 

地形についての話

与謝野町から天橋立エリア(府中)には標高に関係なく、直線の道が残っています。日本の歴史では、高い場所などは避けて作られてきました。この周辺は古代に作られた道だと想定されます。直線道路から直線道路につながる道がずれているところもあり、国分寺の方向を表すものだと考えられています。周辺は丹後国分寺が存在した古代の地割が今も残っているそうです。

 

考古学についての話

天橋立周辺の遺跡を発掘調査すると、奈良時代終わりから平安時代はじめの古代のお金が出てくるそうです。真ん中が開いている30枚ほどの古代のお金が出てきたこともあるとのこと。平城京や平安京跡ではなく、都から離れた場所でこういった物が発掘されるのは、この地にお寺や国府という役所があった証拠になるそうです。現在の安国寺の場所に丹後の国の国府があったのではないかと考えられています。また、一方で府中ではなく、男山だという説もあります。奈良時代には男山に存在し、平安時代は府中にあったのではないかとも考えられています。府中と言う地名は全国各地にあり、それは、古代に国府があった場所のことを指しており、都市として発展した場所であることがわかっているとのこと。また、溝尻の舟屋を見てみると周囲には国分寺跡、安国寺遺跡などがあり、小松川は人工的な運河として作られていることがわかっているそうです。安国寺から海へ出る際に使われていたと想定されます。国府には港があることが通説なので、溝尻は国府の港だったのではないかと考えられるそうです。地名や周辺、まちの区割りで歴史を読み解くことができます。しかし、都市のように地名が変わると歴史がわからなくなっていくそうです。地名も文化財のひとつであり、大切にしていくべき財産であると考えられます。

 

人はなぜ天橋立を目指したのか?

昔から旅をする理由とは以下の3つの目的とされてきました。

⑴ 和歌などの枕詞となった「名所」の訪問

⑵ 社寺参拝(伊勢参り、熊野詣)

⑶ 温泉での湯治

天橋立の目的としては⑴⑵が多かったと考えられます。成相寺は西国28か所であり、金色成相寺が今の場所になったのは500年前だとされています。当時は全国を歩き巡る僧侶が書き残しているそうです。昔の寺には舞台のついたものがあり、そこから天橋立を眺めていたのではないかと考えられています。

知恩寺にも茶店が出はじめ、江戸時代には自然景観とお寺のセットを楽しむ旅が増えました。雪舟も山・砂州・末・寺などの景観をひとつの景としています。しかし、江戸時代から近代に入り、そういった景観を求める旅の形も変わっていきました。明治に入ると自然美を目指す旅が増え、天橋立も成相寺ではなく、「またのぞき」などの展望を目的とされ始めます。明治以降、天橋立にお茶屋さんが宿を開業し、日本建築ではレベルの高い技術で旅館を作り近代観光地となりました。また、ドイツより海水浴が健康にも良いという考えが輸入され、天橋立で海水浴ができるようになりました。まさに、日本の観光の歴史を生々しく感じることができるエリアです。

 

最後に

「古代からの繁栄の歴史、多様な文化、美しい自然が残っているエリアであるが、その魅力について忘れ去られている。」と講師は語りました。文化的景観や歴史の成り立ちを知っていることで文化歴史を目的とした旅を提供することができます。新型コロナウイルス感染症の影響もあり、近年の観光客が求めているものは変わってきているので、地元の人間として興味を持ち学んでいくことが必要でだと考えられます。

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