古文書から学ぶ海の都ぶらり丹後ものがたり
講師:京都府立丹後郷土資料館 資料課 技師 稲穂 将士 氏
日時:2022年9月3日 14:00~15:30
会場:野田川わーくぱる 2階会議室
京都府立大学文学部歴史学科・共同研究員として研究されており、ここ丹後では、宮津にある京都府立丹後郷土資料館で資料課技師を務める、稲穂 将士(いなほ まさし)氏に、丹後の神社やお寺に伝わる史料から見る歴史のお話をしていただきました。
古文書とは、厳密にいうと差出人と受け取る相手がいてのもの(〜江戸時代)であり、特定の対象に伝達するために書かれた文書のことを指しますが、今回は広義の意味での’古い時代に書かれたもの’として、神社やお寺にまつわる史料より丹後の物語の伝説、伝承をご紹介いただきました。
【1】海を舞台にしたものがたり
宮津市にある智恩寺の本尊である文殊菩薩にまつわる日本列島ができる以前の話(できあがりつつあった時)の物語が記されている『九世戸縁起(くせのこえんぎ)』や、雪舟の『天橋立図』に描かれている多宝塔からみる描かれた年代、伊根町にある浦嶋神社に伝わる『浦嶋子伝記(うらしまこでんき)』(鎌倉時代頃ぐらいまでに成立した話)による説を紹介されました。
(※「浦島太郎」という名前として広まるのは室町時代「御伽草子」が成立して以降のこと)
【2】山を舞台にしたものがたり
宮津にある『普甲寺(ふこうじ)』は、現在は跡を残す限りだが、京の都より大江山を抜けて丹後に出るための要衝に位置しており、今も現存する府中の成相寺(なりあいじ)のように山頂において防御の意味合いも持ってかなりしっかりしたものが建立されていたと考えられるそうです。
(絵図・・・寄付を募るためのイメージ図として使われていた)
与謝野町でいうと、金屋地区にある三縁寺(さんえんじ)も、今は下にあるけれど、古くは裏手の山に金屋城があり、その近くである山の上に大規模なお寺としてあったようです。
【3】鬼にまつわるものがたり
丹後を不思議エリアとして見られていたが故の“鬼”伝説。
鬼にまつわるものがたり(その1)
用明天皇の第三皇子である麻呂子皇子(※第一皇子が聖徳太子)の鬼退治とする伝承を伝える寺社縁起が、丹後・丹波国境地域を中心に多数あり、各寺社の創建に関わる内容と共に伝えられて来ている。
※その中の福知山市(清園寺縁起)や京丹後市(等楽寺縁起、斎明神縁起)で伝承されてきた縁起を、10/22から丹後郷土資料館にて『祈りのカタチ』という展示でもとりあげられる予定。巻物の史料なので、期間中少しずつずらしながら公開部分を変えていくので、何度となく足を運んで頂ければとのこと。
- 『斎(いつき)明神縁起』では、与謝野町の阿知江(あちえ)明神についても描かれています。
- 京都国立博物館に普段保管されている与謝野町三河内地区にある梅林寺の銅鐸が丹後資料館へ還ってきます。
鬼にまつわるものがたり(その2)
京都で2箇所ある西京区の大枝山、福知山市・与謝野町・宮津市に渡る大江山、それぞれに酒呑童子の伝承が伝わっているが、近年の研究より、都の北西の方角からやってくる疱瘡(ほうそう)神説が酒呑童子のルーツになっているかと考えられてきている。
鬼にまつわるものがたり(その3)
略縁起の古文書の裏に記されていた宮津市の府中地区にある国分寺に伝わる鬼面の伝承。国分のあたり府中の山あい地域では、節分における掛け声が「おにはうち」であったりする。
鬼にまつわるものがたり(その4)
麻呂子皇子の伝承が成立する中で、大江山一帯を山伏の修験道が励まれた山々として、不思議な力が漂う場所と認識されたりもする。
丹後の国にまつわる様々な伝承に残されるエピソードには、
浦嶋子伝説(浦島太郎話)−蓬莱山・竜宮城の世界−あの世とつうじているところ、
天橋立−神が降りてきたところ・・・など
不思議エリアとしてのイメージを湧かせるものがあります。
京の都の人からすると、大江山(国境)を超えた向こうには不思議なパワーがあり、病気をもたらすのも富をもたらすのも北西の方角からやってくると見えていたようです。
一般社団法人プレイス
<<講義に出てきたエピソードの主要参考文献>>
- 伊根町誌編纂委員会編(1984・1985)『伊根町誌』上巻・下巻、伊根町
- 京都府立丹後郷土資料館編(2008)『丹後丹波の薬師信仰〜麻呂子皇子鬼退治伝説の源流を求めて〜』
- 高橋昌明(2020)『定本 酒呑童子の誕生-もうひとつの日本文化-』、岩波書
- 丹後展企画委員会編(2015)『日本のふるさと 大丹後展』、京丹後市教育委員会